『夜と霧』V・E・フランクル①

ユダヤ人の心理学者、ヴィクトール・E・フランクルが経験した、ユダヤ人強制収容での実体験の物語。

心理学者、強制収容所を体験する

強制収容所には、カポーをはじめとした、特権を持つ「エリート」被収容者から、彼らに見下され、食事もままならない「知られざる」収容者が存在した。前者は、同じユダヤ人を、徹底的に虐げ、暴力を振るうことによって、特権を維持し、収容所内では健康的に過ごすことができた。しかし、少しでも躊躇や情が見られた途端、解任され、その人は特権を剝奪された。一方、後者は一切の権利を持っていない。人間としての名前は、ただの数字の羅列である番号となり、尊厳を奪われ、収容所監視兵の気分によって死が決まってしまう。圧倒的に不条理な空間で、生きながら死んでいたのだ。

著者は後者としての自身が体験した物語として、この物語(体験記)を世に出した。

生々しい文章こそないものの、精緻で淡々と綴られる文章の裏側に潜む、彼の絶望的で悲哀に満ちた心の叫びに共鳴し、戦慄、苦しくなって涙が出た。

 

第一段階 収容

*この「段階」とは、収容所生活への被収容者の心の反応のこと。

第一段階では、収容される際の「収容所ショック」と著者が表現する、ショック作用が見られたようだ。とある駅に到着した著者ら1500名は、超満員の列車に詰められ、幾日も過ごした後だった。疲れが溜まっている彼らに追い打ちがかかる。周囲から「アウシュビッツだ!」と叫びが上がり、死を間近に意識したのだ。このとき、被収容者たちの多くに「恩赦妄想」という病像が見られる。この病像は、死刑を宣告されたものが処刑の直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想し始めるというものだ。

駅を出、並ばされた人々は将校によって、左右に振り分けれる。この振り分けとは、生か死の選別であった。

人々の生が、将校の主観的な、さらに無感情な選択によって決められてしまう空間がそこにはあったのだ。

著者は、本の中でドストエフスキーの言葉「人間は何事にもなれる存在だ」を引用し、その定義がいかに正しかったかを、体験した過酷な環境に順応していく自身の経験を以て理解したようだ。

 

 

 

 

 

『いじめ自殺~12人の親の証言~』鎌田慧著 感想

この本は、自殺してしまった少年少女の遺書の紹介(公開)とともに、なぜ彼らが死を選んでしまったかの主観的な考察が記されている。

この本では、亡くなられた児童の保護者が直面した、社会が作り出す、不条理が描き出されていた。

例えば、自殺した生徒が在籍した学校は、報道機関によって悪いイメージを創られる。その学校が、私立の学校だと、イメージが悪くなることによって、入学志願者が減って、経営が傾かねない。そのため、学校側は、自殺の原因が学校内の人間関係から生じた悩みなどの猖獗だとしても、「原因は家庭の事情である」といった形で責任転嫁しようとする。学校側は生徒の尊厳よりも、市場社会で生き延びるための選択を大切にするようだ。

 

PTA、学校の経営、いじめをした生徒の親…

PTAは、こどもを失った親に対し、学校側と組んで、学校の経営が傾かないような対策を練り、訴えることへの気力を失わせ、自殺した生徒が苦しんだ過去を無いものとして扱う事例もあった。

いじめをした生徒の親は、例え生徒が更生し、いじめを認め、罪を負おうと決心したとしても、子どもが法的に裁かれてしまうことを危惧、忌避し、子どもへ、生徒をいじめたのは正当防衛であって、悪の源因はこちらでなく向こうにあるのだと言い続け、半ば洗脳のようなことが起きていたそうだ。

 

遺書が無い、いじめ自殺は、大抵、自殺の源因を家庭内の不和として取り扱われてしまうため、本書に登場する、自殺した生徒の親御さんは、「遺書があれば…」と嘆ずる部分もあった。

 

何がいじめを引き起こすのかの具体的な構造は綴られていなかったが、人間関係が生み出す、「悪」について考察する契機となった本。

 

他者を排除したときに得る、自己存在への価値安定は、自分の不安定さを不安定さで安定させている、2枚のトランプを掛け合わせて立てる、トランプタワーみたいなものだ。

なぜ、差別やいじめのような、不安定による安定を求めてしまうのか…いろんな本を読み、人間の空間への構造を分析していきたい。

 

『グッドバイ』太宰治

太宰の最期の長編小説。

未完の小説。

この作品は社会を悲観し、嘆いた作品を多く書きだした後期の作品であるものの、悲観よりかは楽観的に書かれ、読んでいて明るくなれる作品だった。主人公の特徴には、太宰自身の影を帯びている面も少なからず感じるが、それ以上にその登場人物を批判せず、喜劇作品の人物として軽快に書かれていることに驚いた。僕が読んだ太宰の後期の作品は、自分を模した登場人物を徹底的に批判したものが多い。例えば、『人間失格』はその代表だと思う。自身が内面に抱えていた闇を丁寧に描き出し、そしてその闇を内面から批判する。また、『女類』という小説では、太宰を模しているだろう、笠井という女に打ちひしがれて女への偏見、侮蔑が激しい小説家を第三者が批判する文章。つまり、外側から批判させた小説も書いている。

これらの作品たちを通じて、自分の罪を抱える意識を徹底的に排除したのだろうか。自身と、どうしようもならない日本の現状とを批判しきったのだろうか。そして、それがゆえに新たな世界を見、『グッドバイ』という喜劇が書けたのだろうか。

最後を未完で終わらせるというのもなかなか喜劇的だなぁと思ってしまう。

入水した彼はおそらく、自殺願望を持つ、自身に似た人々へ「終わらない文章」贈ったのかもしれない。彼の最後の「生」への抵抗。

終わらない文章。

永遠不滅!

『饗応夫人』太宰治

「私、いや、と言えないの。」

客にぞんざいに扱われ、粉骨砕身の思いで饗応する夫人を、夫人の安息を願い、客との関わりをやめてほしいと思う女中の視点から描かれた作品。

 

夫人の断れない性格を逆手に取った大学の先生方の振る舞い、言動が腹立たしかった。横暴に対応する夫人は、対応、体の状態からどんどんと疲弊していくことがわかる。

女中の視点で描かれているため、女中の主観ではあるものの、夫人の悲惨さがひしひしと伝わってきて、読んでいてとても苦しくなった。

 

終盤、夫人は喀血する。そして、身の安息のために故郷へ帰る決断する。列車の切符も買い、帰郷の準備も済ませ、その夜出発しようと外へ出た。

外には待ち構えたかのごとく、夫人をぞんざいに扱う客が居、家に入ろうとしていた。

夫人は咄嗟に切符を破り、饗応に勤むのだった。

 

「私、いや、と言えないの。」この心持ちは、夫人の精神だけでなく身をも滅ぼしていく。

『朝』太宰治

遊ぶことが大好きな主人公。彼は仕事をしていても、友人が自身を訪ねて来ると遊びに出てしまう。

そんな自分を律しようと、家族にも教えていない秘密の仕事場(女の人の部屋)で仕事するのであった。

ある晩、彼はお酒を大量に飲み、帰れなくなる。そして、彼は秘密の仕事場と称する女の人の部屋で介抱してもらう。

何も考えずに寝、起きた頃、停電し部屋が真っ暗になっていた。

その真っ暗な部屋に光を灯すべく、蝋燭を付けるのだが、その蝋燭が短くなるにつれ、自分の五体が熱くなり、大胆になっていく。この蝋燭が消えたら..。と自分の恣欲の暴走という恐怖に身悶えながらじっとする。

そして、蝋燭が消える。

が、蝋燭が消える頃には夜が開けていた。

 

彼は起きて帰る支度をするのであった。

 

欲と理性の葛藤を描いた作品。

消えていく蝋燭の火に理性を重ね、自分の欲が抑えられなくなっていく..。

 

作中で交わされる、キクちゃんと主人公の会話に「バイブル」や「貴族の習慣」と言った話題が出てくる。どちらも面白おかしいお話の一環として出てくるのだが、こう言った話をする人物を描ける太宰の知識は本当に豊かだったことが伺える。

『フォスフォレッセンス 』太宰治

太宰の夢の話を軸にして綴られ、フワフワとした夢心地のような作品。

夢のなかで語られる事柄は雲のような、見えているけど掴めない、そんな風に思わせる内容が多かった。それが「夢」のような雰囲気を醸し出していた。

 

作品内で夢の妻が質問する。

「正義ということをご存知?」

「男らしさをご存じ?」

「清潔ということをご存知?」

「愛ということをご存知?」

主人公は答えなかった。

答えなかった。という表記から答えられなかったわけではないのだろう。

僕はこの質問に答えられるだろうか。と思い、考えた。

 

普段、なんとなく雰囲気に沿う形で正義や男らしさ、清潔、愛という言葉を使うが、これらの言葉を深く捉えたことがなかったため、考え始めるのに時間を有した。この事柄は経験から考えていこうと思い、これからの行動でまた、再考していくつもりだ。

『冬の花火』太宰治

太宰が描いた戯曲。

人間の廃れた精神を、季節外れで誰からも観られることのない、寂しく灯る冬の花火になぞらえて描かれた作品。

 

ストーリー

夫の消息が不明の数枝が娘の睦子を連れ、実家へ帰る。数枝の奔放さに呆れた父が彼女へ叱責する。が、数枝も引かない。そして、父の怒りが頂点に達した時、サッと身を引き、二階へ行き、第一幕が閉じる。

 

二階へ行き、娘を寝かした数枝はある男、清蔵が外にいるのに気づき、部屋に入れる。すると彼から数枝への長年の思いを語られ、仕舞いには求婚の申し出をされる。数枝はそれらを頑なに否定し、拒む。だが、彼の方もすんなりとそれを受け入れはしない。それは、出刃包丁を取り出し脅すほどであった。

暴走した彼を襖の裏にいた数枝の母、あさが撃退し、第二幕が閉じる。

 

親孝行をすると告げる数枝、書き途中だった手紙をあさに読み上げ、自身の身の上、内面、東京にいる男への想いを明かす。秘密を明かした数枝に、あさも数枝へ秘密を明かす。その明かされた秘密に数枝は、怒りに身を任せるように堕落していくと決めてしまうのであった。

全て理想は、ばかばかしい冬の花火

電報を告げる配達人の声が響く中、幕が閉じる。