『いじめ自殺~12人の親の証言~』鎌田慧著 感想

この本は、自殺してしまった少年少女の遺書の紹介(公開)とともに、なぜ彼らが死を選んでしまったかの主観的な考察が記されている。

この本では、亡くなられた児童の保護者が直面した、社会が作り出す、不条理が描き出されていた。

例えば、自殺した生徒が在籍した学校は、報道機関によって悪いイメージを創られる。その学校が、私立の学校だと、イメージが悪くなることによって、入学志願者が減って、経営が傾かねない。そのため、学校側は、自殺の原因が学校内の人間関係から生じた悩みなどの猖獗だとしても、「原因は家庭の事情である」といった形で責任転嫁しようとする。学校側は生徒の尊厳よりも、市場社会で生き延びるための選択を大切にするようだ。

 

PTA、学校の経営、いじめをした生徒の親…

PTAは、こどもを失った親に対し、学校側と組んで、学校の経営が傾かないような対策を練り、訴えることへの気力を失わせ、自殺した生徒が苦しんだ過去を無いものとして扱う事例もあった。

いじめをした生徒の親は、例え生徒が更生し、いじめを認め、罪を負おうと決心したとしても、子どもが法的に裁かれてしまうことを危惧、忌避し、子どもへ、生徒をいじめたのは正当防衛であって、悪の源因はこちらでなく向こうにあるのだと言い続け、半ば洗脳のようなことが起きていたそうだ。

 

遺書が無い、いじめ自殺は、大抵、自殺の源因を家庭内の不和として取り扱われてしまうため、本書に登場する、自殺した生徒の親御さんは、「遺書があれば…」と嘆ずる部分もあった。

 

何がいじめを引き起こすのかの具体的な構造は綴られていなかったが、人間関係が生み出す、「悪」について考察する契機となった本。

 

他者を排除したときに得る、自己存在への価値安定は、自分の不安定さを不安定さで安定させている、2枚のトランプを掛け合わせて立てる、トランプタワーみたいなものだ。

なぜ、差別やいじめのような、不安定による安定を求めてしまうのか…いろんな本を読み、人間の空間への構造を分析していきたい。