『十五年間』/太宰治

太宰治が、東京で過ごした15年間の生活回想記。

かつて書いた『東京八景』では物足りないと感じ、太宰自身が発表した作品の変遷とともに自分の生活、心理状況を回顧し、書いた作品。

太宰は『思い出』という少年時代に犯した罪の告白を記した小説を書いて死ぬつもりだった。だが、これだけでは足りない。と思い、大学に出席せず、遺書と称する一聯の作品に凝る。

「海豹」「魚服記」という小説が反響を呼んだ時、何かの間違いかもしれないよ。と、忠告するように、井伏鱒二、生家の兄は太宰がおだてられて、舞い上がるのを防ぐためにいつも釘を刺していた。

井伏鱒二と兄は太宰が称賛され、それに満足し作品が書けなくなること、また生きる気力を失うことを危惧していたのかと思う。

かつて、僕が敬愛した友人にH君が卒業アルバムに「満足するな。納得していけ」と書いてくれたことを思い出した。彼は、僕が太宰のように、称賛されて良い気になったとき、とんでもなく酷くみじめで無様なことをしてしまうことを予知し、危惧していたのかもしれない。

太宰はサロン芸術を嫌悪していた。太宰は自身を作品中で痛烈に自分を卑下し、凄惨な生活を送る情けない人物として小説に書くことが多い。しかし、他者から自身のイメージを酷く悪く扱われるのが嫌だったのだろうか。他者からの酷評には口うるさく抵抗している。

ぼくなりにこの理由を考えてみる。おそらく、太宰は自身で自身の評価を低くすることで、他者からの評価が高くなることをひそかに考えていたのだと思う。が、サロンの人たちが太宰自身が突かれたくなかった痛い部分ばかりついてくるため、ひどく嫌悪したのかと思う。ベックリンの『芸術家』という作品を例に挙げ、真の芸術家の像を綴り、自分の姿をやはり卑下、情けない人物として書く。

 

戦時下、生活の窮迫に苦悩した太宰は先輩に手紙を出す。その内容はこんなものだ。

誰にも打ち明けていない秘密を打ち明けます。お金が無くて自殺を考えていますが、思いとどまっています。この文を読んだら黙って破り捨ててください。といったような手紙だ。

太宰はこの手紙を書くことで、先輩に同情してもらい、少量でもお金が入ることを期待していたと思う。手紙のはしがきに「期待はない」と記述しているが、それも同情してもらうためのしかけであると考える。結局、先輩も佳境に立たされていたため、先輩から何かしてもらうことは無かった。

 

太宰は自身をかなり卑下するが、「津軽の百姓」という点は頼れる点としていた。太宰ほど自分を凄惨に酷評し、情けない奴と書く人でも、頼れる点があると自身で認知しているのだと考えると、「何も良い点無し」と言っている僕は本当に自分を見てあげていないのだなと思い、恥ずかしい。

 

この回想記は『パンドラの匣』という小説の一部を乗せて締めくくられている。ここで載せられている文章には、自由主義とは何か。を比喩を交えて説明する学生、聖書一巻の偉大さを説く学生の姿が描かれていた。