『人間失格』/太宰治

傷つきやすく、自分の存在に悩みあぐね、お酒、薬に溺れることになってしまった心優しい男の一生を記した本。

 

僕はこの本を高校三年生の秋に読んだ。国語の先生に「今は読むな」という大反対を受けながらも、読み切ってやるという思いで読み始めた『人間失格』。

この本は太宰治の自伝的小説と言われ、この一冊には、太宰治がどう悩み、その悩みにどう立ち向かったか、そして繊細な自身の感受性について深く記されている。

僕がこの本を読んでいた時の心理状況は、真っ暗だったことを記憶している。

勉強しても勉強しても伸びない成績に悩みあぐね、ストレス発散として隙間時間に本を読みまくり、周りの友人には「そんなことしてたら落ちるぞ」などと嘲笑されながらも毎日必死に生きていた。そんな日常の中、自分は人間じゃないのではないかという妄想に取りつかれ、ひたすらに人間らしさを探しながら、人間関係の典型を考え続け、もう無理だ。と思っていた矢先、僕はこの本を見つけた。

この本にかかれている内容に僕はひどく共感したことを覚えている。「僕の真の理解者が初めてできた」そんな気持ちになったのだ。今まで僕が悩みに悩んだことが物語として記されていたことで僕は少し救われた気になれた。真っ暗な内容だったがその内容には確かな道があった。その道を僕はしっかりと辿り続けた。先には絶壁が構えていて、そこに身を投げることになろうとも、僕は読み切る覚悟、辿りきる覚悟をもってその本に接した。学校から自宅間の登下校の間はもちろんのこと、休み時間に入ってもひたすらに人間失格を読み続けた。

比較的早く、この本を読み終えたと思う。この本を読み終えたとき、僕は心に確かな光を見つけることが出来た。作品をたどっているうちに、自分の心の闇を探求し、その闇の中に小さくも輝いているものを見つけられた。まるで、旅人が、凍えそうな夜に、街灯も何もない、わけのわからない道をひたすらに歩き続け、ネオンの光のような優しい明りの灯った暖かい小さな家を見つけた。そんな感じだ。

読み終えて早速、この本を読んで心が軽くなったという感想を今は読むなと言ってきた先生に伝えたら、先生たちは口裏合わせたようにに目を丸くし、そんな感情になれるか?と言ってきた。僕が通っていた塾の講師を務める人は、その感受性を頼りに論文を書いてみたらどうか。などと言ってきたものだから、自分ちゃんと読めてなかったのかなと心配したりもした半面、自分にしかできない読み方が出来た気がしてとてもうれしくなった。

 

今でも僕は人間失格を出かけるときはバッグに入れている。僕の大好きな小説であり、理解者であるから。