『たずねびと』太宰治

東京の家が罹災し、「どうせ死ぬのならば、故郷で死んだほうが面倒がなくてよい」という思いから、青森の実家へ汽車で向かう、主人公の一行。

その汽車内で何度もいろんな人に窮地を救われた。乳の出ない妻に代わり、乳を与えてくれた恩人。また、籠に入った果物を「じんどう!」という言葉とともに譲渡してくれた恩人。そして、一番下の子の死を覚悟したときに現れ、たくさんの蒸しパンを渡し、死を回避させてくれた恩人といった具合だ。

主人公は最後に現れた人を探している。

小さな息子の命を救ってくれた、たくさんの蒸しパンをくれた娘さんへ、一言もお礼が言えなかったから。

 

この作品は薄明、苦悩の年鑑という小説と重なる部分、そしてその続きのような作品だった。戦争下での食糧確保がひどく難しいことを書き、そんな中、他者のために食糧を分け与えられる人々がどれほど素晴らしいのかがひしひしと伝わる文章だった。

また、家族の悲惨な状況を書くことで、汽車の旅が簡単なものではないということを読者にわかるようにしている。

 

この小説は、「逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみを含めて言いたいのです。『お嬢さん。あのときは、助かりました。あの時の乞食は私です。』と。」という文章で締め括られる。このお嬢さんというのは、蒸しパンをくれた娘さんのことだ。そして、一種の憎しみというのは、おそらく、娘さんが礼を求めず、主人公一行が頭の整理が追いつかないうちに消えてしまったことに、主人公は勝手に、その娘が自分を礼儀知らずと思っているのではないか。などと思いを巡らし、「私はあなたへ礼を尽くします。」という感謝とともに、自虐的羞恥心を味わってしまったことからの憎しみということではないかと僕は考える。

太宰がグッドバイという短編集に書く主人公は大体、小さなこと(主人公からしてみればそれは大層大きなことなのだが)に煩悶し何もうまくいかなくなっとき、また、自分のプライドを捨てそうになった時、こんな自分は死んだ方がマシだという考えに至ることが多い。

今回な作品もそんな主人公で、おにぎり一つを奪うようになったら、おれは生きるのをやめるよ。と妻に言っている。というのも、今の主人公のプライドが食べ物を奪い合わずに食べれることにあるからで、そのプライドすら維持できなくなったら自分に価値がないと考え、死ぬことを思ったのだろう。

 

太宰が遺書に、小説を書くのが嫌になったということを記していた。もしかしたら、太宰は、自身の唯一(?)のプライド「小説を書く」が維持できなくなり、自分は死ぬしかないと考え、身を投げ打ったのではないか。

自身を模した主人公を酷く凄惨に書く太宰は、自分の弱いところを徹底的に見つめ、批判し、その逆にいいところは意地でも(サロン芸術を尽く批判したり)、守り抜こうとしたのではないか。と考える。