『砂漠』

「春」

登場人物の出会いが描かれている。新歓での西嶋の「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって余裕でできるんですよ」という発言はぶっ飛んでいて、壮大な言葉だった。

社会という「砂漠」の中、僕たちは乾きに乾いたのどを潤すように、休息を得たり自分の好きなことに没頭する。そのとき、砂漠には雨が降る。雨が一時的に砂を濡らし、のどを癒す。そして、潤んだのち、燦燦と乾いた光を送る太陽が潤いを忘れさせる。そしてまた潤いを求める。この繰り返しが社会で生きるということだ。

「砂漠に雪を降らせる。」社会という乾いた世界で雪が降るとき、僕たちの生活にどんな変化があるのだろう。そんなことを考えた一言だった。

 

登場人物の西嶋は、かなり個性的で魅力的だ。もちろんその他の登場人物も個性的で魅力的なのだが、西嶋は群を抜いている。新歓での登場シーン然り、麻雀で平和(ピンフ)で上がろうとする姿勢を頑なに崩さない姿勢、自分が貫くと決めたものには苦言、泣き言言わず突き進む姿など、枚挙に暇がない。

「春」の章で、一番響いた彼の言葉は、合コンにて、寄付、募金を求める人たちに少量のお金を投じるのは偽善だ。といった女の子に反論するときの言葉だ。彼は「今、目の前で困っている人を救えない人に、明日世界が救えますか。」といった。本当にその通りだと思った。僕は何もできていない。自身の不幸を憂いて、他者の不幸に親身になることが出来ていない。困っている人の話を聞くとき、心のどこかでは、自身のことを考えている。そんな自分は心の平穏、関係の安定などできず、ただの破壊者にしかなれない気がする。目の前の困難に見舞われた人に、純粋な心をもって接することが出来ない僕には世界は変えられないし、幸せな生活も手にできないのだろうな。と思ってしまった。

 

「夏」

登場人物の二年生の夏が描かれた部分。

主人公たちは、大学の生活が板につき、刺激を求めていろいろなことに手を出す。が、刺激を求めてしまったために登場人物の一人が腕を失うという不幸に見舞われることになる。その不幸が生み出してしまった、暗い雰囲気を打破するために西嶋は一人行動を起こす。

その行動が不可解で、「なんだ?なんだ?」と興味をそそられ、僕のページをめくるペースが速くなっていた。ページをめくるたびに得られる感情は、ぜひ読んで体験してほしい。彼の行動はその暗い雰囲気を打破するのに一役買っていた。「西嶋やるじゃん」そう心でつぶやいてしまった(笑)

 

「秋」

三年生の秋。学祭でのお話を主に描かれた部分。その学祭で、超能力対決(超能力者vs学者)が行われるのだが、準備段階での学者の態度、姿勢に主人公たちは良い気分になれなかった。(表現が見つかりませんでした)そして、その学者を一泡ふかそうと、西嶋を気に入っている古賀さんに協力を求める。しかし、主人公の計画した学者への一泡吹かせる計画は、漏れてしまっていた。当日、ダメだ。と落胆した気持ちを抱える主人公たちは、見届ける思いで対決が行われている講堂へ足を運ぶ。そこで起きた出来事は、予想外なものであり、すっきりする展開であった。

 

三年秋でも、西嶋は変わらず自分を貫いて独走している(笑)この章での、登場人物の言葉で僕の心が動かされた素敵な言葉を僕が僕なりの言葉にして、奥の感想を交えて紹介する。

駅前で政治について叫んでいる人たちを見かけた際に、主人公が西嶋へ、あんなふうに自分の考えを伝えてみては。と言った際の西嶋の返答だ。

三島由紀夫は本気を出して、命を懸けて自衛隊を動かそうとした。だが、その行動空しく、彼の行動は無駄になってしまった。命を懸けて訴えた彼がダメだったのに、命を懸けずに自分が言いたいことを言うだけの人たちの声は届くはずがない。」といった言葉だ。この言葉にはやはり心が震えた。自分のどこかで抱えていた、「本気になれば誰かに思いを伝えられる。」という理想は、勝手な幻想にすぎないことを理解した。「僕たちは小さな存在なんだ」とも思ってしまった。が、かつて読んだ伊坂幸太郎著の『魔王』という作品で書かれていた「でたらめでいいから自分の考えを信じて対決すれば、世界は変わる」という言葉を、記憶の底から引きずり出し、その言葉に、落ち込みそうな僕の精神的拠り所になってもらった。

また、西嶋はこんな発言をする。

「テレビで、足を負傷した手負いのシカの近くに、腹をすかしたチーターが登場する。そして今にも襲われそうな様子をテレビレポーターが『これが野生の厳しさです。助けると自然のルールを破ることになるので助けられません』といった発言をするが、自分が襲われたら拳銃を使って抵抗する人間がこんなこと言っていいのか。違うだろ。助けるべきなんだ。主観でこう思うってものに突き動かせられればいいんだ。」というような発言だ。

その後、西嶋は、保健所で保護されている、期限が切れかかり、処分の時が近づいている大型のシェパードを引き取る。この行動が、西嶋の生き方なのかなと感じた。

その他には「才能がある人ほど虐げられる」「逃げるための理屈をこねてはいけない」「賢くて、偉そうな人に限って物事を要約したがる。要約して分類したがる。本質はバラバラでケースバイケースなのに。」などの言葉も胸に刺さった。

ぜひともこの本を読んで、この言葉たちの力強さを味わってほしい。

文中、サンテグジュペリの本の引用文が登場する。その言葉も素敵な言葉なので留意して読み進めてほしい。

 

「冬」

四年生の冬。卒業まであとわずかの主人公たちの様子が描かれている。

主人公たちが巻き込まれた事件を追っていく場面が緊迫感が伝わるように描写され、西嶋の恋の行方がハラハラドキドキ、そしてクスっと笑えるように描かれている。

西嶋が意中の相手に突撃するための服を選んでもらう際、こんな言葉を言っていた。「僕は恵まれないことには慣れてますけどね、大学に入って、友達に恵まれましたよ」という言葉だ。

読んだとき、涙が流れた。すてきだ。そう思った。この言葉に炎を灯すために、熱を帯びさせるために、作者は西嶋に焦点が当たるようにかいていたのかな。と思った一文だった。

 

「春」

卒業式の様子を描いた部分。

 学長の放った「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時はよかったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ」という言葉と「人間関係における贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」という言葉は、『砂漠』という題の本の終わりを、(形容詞)飾っている。

また、主人公たちとたまに関わっていた人物、莞爾という青年が主人公たちのグループに、「おまえたちみたいなのと仲間でいたかった」という言葉を言っていた。あ、似た感情を持ったことがあるな。と莞爾に共感した。

 

 

長文になってしまった。

感じた通り文字を紡ぎだすという行為はやっぱり難しい。

自分が紡ぎだしたい通りに言葉を出すようになるのが、いつになるかわからないけれどいつか、言葉を思い通りに扱えるようになりたい。